「亡くなった人たちの分も一生懸命生きていかないといけない」。初めてプロ野球選手として迎えた「3・11」。千葉ロッテマリーンズのドラフト1位新人、佐々木朗希投手(18)は故郷岩手につながる青空の下、黙とうした。
岩手県陸前高田市に住んでいた小学3年時、東日本大震災の津波で父の功太さん=当時(37)=と祖父母を失った。3兄弟の次男。野球を始めて間もない時期だった。
最速163キロを誇る剛腕も、当時は9歳。普段からキャッチボールの相手をしてくれた功太さんとは「一緒に兄と3人で野球をすることが多かった」。
高さ15メートルを超える津波。自宅は流され、老人ホームでの避難生活。家族を失った悲しみに、食事や入浴を満足にできない苦労が重なった。小学4年からは母の陽子さん(46)の親族がいる隣の大船渡市に移住した。
本拠地のZOZOマリンスタジアム(千葉市美浜区)で11日、取材に応じた佐々木朗は「今あることが当たり前ではないと思った。今という時間を、昔よりも大切にするようになった」。震災を語る時、慎重に言葉を選ぶ。
ZOZOマリンは小学6年生だった2013年、被災した岩手沿岸部の子どものために開催された野球大会「リアスリーグ」でプレーした。初めて土を踏んだプロの球場だった。縁にも導かれ、千葉でプロとして飛躍を目指す。天国の父と祖父母へ。「活躍をしているところを見せたい」と言葉に力を込めた。
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March 12, 2020 at 10:00AM
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