ただ当時、私にとって美術はあくまでも自分の趣味の範囲で、将来の職業と結び付けて考えてはいませんでした。富士通株式会社に入社したいと思ったのは、人事担当の方が、面接で私という人間そのものをしっかりと受け入れてくれる印象があり、「世のため、人のため、自分のための3つがそろって初めていい仕事ができる」という言葉に共感を覚えたからです。幸いにも入社試験に合格し、それから4年間は営業職としてスーパーコンピュータを海外に拡販する仕事に従事しました。出張でさまざまな国に行き、人にも大変恵まれ、仕事自体にもやりがいを感じていました。ただ、忙しい毎日を過ごす中で、「人生で仕事をしている時間はこんなに長いのか」という気付きがあり、次第に「それであれば好きなことを仕事にしたら、もっと幸せなのでは」と思うようになりました。それからは、好きなことで、かつ仕事にできることは何だろうといろいろ考えていたのですが、当時仕事の合間に趣味で美容ブロガーの活動を行っていて、化粧品やメイクがとにかく大好きだったこともあり、メイクアップアーティストという職業に興味を持ちました。
そこで早速、専門学校が開催している「一日メイク体験」に参加してみました。そこで初めて自分以外の人にメイクをする経験をして、「技術」として学ぶメイクに魅せられました。「人がキレイになる」ということに一種の芸術性を強く感じて、心が震えた瞬間でした。人をメイクで幸せにすることで、自分も幸せになれる仕事だと感じ、私にとってはこのメイクアップアーティストこそが「世のため、人のため、自分のため」の3つを満たせる仕事だと確信して、絶対にこの道に進むと心に決めました。
-そこからメイクアップアーティストとしての第一歩を踏み出したのですね。
松下:はい。会社で働きながら、専門学校のヘアメイク日曜コースに1年間通って、メイクの基礎を身に付けました。その後、会社を退職し、業界的にはスタートも遅かったので、とにかくスキルと経験を積みたいと思い、大きな撮影やファッションショーがあるニューヨークに行くことにしました。ニューヨークではMAKE UP FOREVER ACADEMYという学校に半年間通って、ビューティ/ファッション、特殊メイク、ボディペイントなどメイクに関わる技術を幅広く学びました。それと同時に、現地のフォトグラファーに手あたり次第に連絡をして、作品撮りも頻繁に行っていました。納得できる作品が増えてきたら、次の段階として自分が憧れているアーティストに連絡し、作品を見せてアシスタントとして採用してもらいました。また、メイクの学校で知り合った仲間で仕事をシェアすることも多く、個人で受ける仕事もたくさんしていましたね。とにかく経験を積みたかったので、プロのモデルの撮影だけでなく一般の方への出張メイクの仕事もしていました。10代から70代まで、幅広い年代の方がいらっしゃいましたし、バックグラウンドも多様で、お肌の状態や悩み、メイクの好みなどもさまざまだったので、大変勉強になり、技術向上に大いに役立ちました。そして2017年からアーティストマネジメント事務所に所属して、主にファッションブランドやファッション誌などの撮影の現場やファッションショーのメイクに携わってきました。
からの記事と詳細 ( 本当に好きなことを求め渡米してメイクアップアーティストに ... - Keio University )
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