マイクロソフトはWindowsを多種多様なハードウェアで使えるようにすることで、現在の地位を築いた。そのマイクロソフトが2019年11月4日、どんなハードウェアよりも異質な魅力を放つコンピューター、つまり量子コンピューターへのアクセス提供を近いうちにクラウドプラットフォーム上で開始すると発表した。
量子コンピューティングは、日常の感覚では捉え難い量子力学的な現象を利用し、大量のデータを処理する技術だ。そうすることで、過去に類を見ない計算能力が得られると言われている。この技術に投資している巨大テクノロジー企業は、マイクロソフトを含めていくつかある。そんななか、同社はクラウドプラットフォーム「Microsoft Azure」を通じ、量子コンピューターのプロトタイプ3種類へのアクセスを一部の顧客に提供しようとしている。ハードウェアはそれぞれ、エンジニアリング複合企業ハネウェル、メリーランド大学発のスタートアップIonQ、イェール大学発のスタートアップQCIが構築したものだ。
マイクロソフトは、3種類のいずれかが実用に耐える段階に達したとは言っていない。そう宣言するには、現在の量子ハードウェアは弱々しすぎる。だが同社の経営陣は、いまから試行錯誤を始めるべきだと語る。開発者や企業が量子アルゴリズムと量子ハードウェアであれこれ試し、どんな仕事が量子技術に適しているのかをテクノロジー業界が学べるよう、手がかりをつくろうというのだ。競合のIBMとグーグルも同じように考えている。
マイクロソフトが立ち上げた研究開発コミュニティ「Microsoft Quantum」を統括するクリスタ・スウォーレは「今後とりうる方策について、わたしたちに全体図が描けないことはわかっています。世界的なコミュニティを醸成する必要があります」と語っている。
マイクロソフトは新サーヴィス「Azure Quantum」で、すでに公開していた量子プログラミングツールを自社のクラウドサーヴィスと統合する。これにより、コード作成者はハネウェル、IonQ、QCIによる仮想または現実の量子ハードウェア上で量子コードを走らせることができるわけだ。
未来の量子コンピューティング市場が垣間見える?
マイクロソフトは11月4日、「Ignite(火をつける)」と銘打った年次会合をフロリダ州オーランドで開き、数カ月後にAzure Quantumのサーヴィスを開始すると発表した。量子コンピューターはハネウェル、IonQ、QCIの施設でそれぞれ稼働するが、インターネット経由でマイクロソフトのクラウドに接続する。マイクロソフトも長期計画で量子コンピューティング研究を実施しているものの、量子ハードウェアを生み出すには至っていない。
IBMは16年、プロトタイプの量子コンピューターへのアクセスを無料または有料で提供し始めた。Azure Quantumと類似のサーヴィスだ。また、グーグルも19年10月23日、同社の量子プロセッサが最高レヴェルのスーパーコンピューターを上回る性能を示し、「量子超越性」と呼ばれる大きな節目に達したと発表した際、量子ハードウェアへの遠隔アクセスを一部企業に近く提供すると明らかにした。
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2社のサーヴィスにないAzure Quantumの特徴は、異なる種類の量子コンピューティング技術を利用できるところだ。このサーヴィスを通じ、未来の量子コンピューティング市場が垣間見えるかもしれない。
量子ハードウェアは扱いに細心の注意を要するため、大半の企業がクラウドサーヴィスを通じて利用することになる。自前の量子コンピューターを購入したり、構築したりする企業は少数派だろう。IBMとグーグルが顧客への提供を検討しているのも、ハードウェアそのものではなく、アクセスだけだ。
スタートアップStrangeworksのCEOを務めるウィリアム・ハーレイによれば、マイクロソフトのモデルは既存のコンピューター産業に比較的近い。既存のクラウドサーヴィスでは、顧客がインテルやAMDといったメーカーのプロセッサを選べるからだ。Strangeworksが運営するプログラマー向けサーヴィスでも、IBMやグーグルを含む複数の企業の量子コンピューティングツールを利用しながら開発が進められる。ハーレイが言うには「わたしたちは量子コンピューティング産業の発展において、できるだけ多くのことを試したほうがいい時期にいる」のだ。
マイクロソフトにハードウェアを提供する3社は最先端の方法で量子コンピューターを構築しているが、各社が選んだ手法は2種類に分かれる。ハネウェルとIonQが採用した「イオントラップ」方式では、電磁場にとらわれたイオンを利用する。一方、QCIはIBMやグーグルと同じく、金属製の超伝導回路を採用している。
量子ハードウェアで進歩を遂げている企業には、自前のクラウドビジネスをもたないところもあるし、そうした企業が顧客獲得で苦しむ可能性もある。例えば、ハネウェルや一部の資金に恵まれたスタートアップがそうだ。Azure Quantumのモデルなら、その問題を解決できるかもしれない。IonQのCEOピーター・チャップマンは「これなら自分たちがいちばん得意な仕事、つまり最高の量子コンピューターをつくることに集中できます」と語る。同社は、量子コンピューターで化学関連の問題を解きたいと考えるダウ・ケミカルなどを初期顧客に抱えている。
マイクロソフトにないもの
Azure Quantumに欠けているのは、マイクロソフト独自の量子ハードウェアだ。同社にも大がかりな量子研究プログラムがあるものの、比較的成熟していない技術に焦点を絞っている。長い目で見ればそちらのほうが優れているそうだが、まだ幼稚園児レベルの計算が可能なチップすらできていない。
量子コンピューターは「量子ビット」と呼ばれる特異なデヴァイスでできている。1と0の羅列でできたデジタルデータを扱う点では、古典的コンピューターの部品と変わらない。しかし、量子ビットは1と0を量子力学的な現象に変換する。亜原子粒子(原子よりも小さな粒子)の「スピン」のようなものだ。そのため、個々の1と0が「同時に1でも0でもある」ような第3の状態、いわゆる「重ね合わせ」の状態に変化する可能性がある。日常ではありえない状態だが、これを利用することにより、古典的コンピューターには不可能な計算を短時間にこなすことが可能になるのだ。
テクノロジー産業が量子に見ている夢をかなえるうえでの根本的な課題は、量子ビットが極めて不安定なことだ。量子力学的処理は非常に微細で、熱や電磁ノイズによって簡単に台無しになってしまう。IBM、グーグル、インテルがこれまでにつくったチップの量子ビット数は最大で50程度だが、実用に耐えるデヴァイスをつくるには、量子ビット数が100万以上あるずっと質の高いチップが必要になるかもしれない。
死活的に重要なデヴァイスである量子ビットのなかで、マイクロソフトが力を注いでいるのは「トポロジカル量子ビット」と呼ばれる方式だ。まだ理論上にしか存在しないが、既存の量子ビットを安定性の面で上回るとみられている。トポロジカル量子ビットの土台は、亜原子レヴェルで起こる「マヨラナ・ゼロ・モード」という現象を操作することにある。この現象は長きにわたり理論上のものとされてきたが、ごく最近になって観測された。名前の由来となったイタリアの物理学者は1938年に謎の失踪を遂げている。
マイクロソフトの量子部門トップ、トッド・ホルムダルは、トポロジカル量子ビットは18年中に実現すると公言していたが、現時点では重要な現象が観測されただけで、実物は存在しない。カリフォルニア大学サンタバーバラ校の物理学教授で、マイクロソフトの量子ハードウェア開発を統括するチェタン・ナヤクは、自分たちは堅実に取り組んでいるとしか言おうとしない。例えば、数百万のトポロジカル量子ビットをシリコンウェハーに載せるときに備え、材料科学的な技術を研究しているそうだ。それでも彼は「自分たちが遂げてきた進歩に非常に興奮している」と話している。
もし自前のハードウェアを手にしたら
自社の量子プロセッサができたら、マイクロソフトは11月に発表したハードウェア各社との連携を解消するのだろうか。ナヤクはこの質問に答えたくなさそうだった。しかし、マイクロソフトは自社のノートパソコン「Surface」を売りながら競合他社のノートパソコンにサポートを提供しているし、彼の言葉からすると、量子プロセッサでも同様の戦略が検討されているようだ。彼は「当面は複数のかたちのハードウェアが共存するというのが、われわれの見通しです」と語っている。
自前の量子コンピューティングハードウェアをもたないマイクロソフトだが、11月の発表の際、新たなコンピューターチップを公開した。量子コンピューターではなく古典的コンピューターのチップだが、宇宙空間よりも低い温度で機能する特別製で、待望の量子プロセッサができた際の制御に使われる。
グーグルやIBMによる現在の量子ハードウェアと同じで、マイクロソフトの量子ビットが完成した場合も、特別な冷却装置の中で絶対零度近くまで冷やしながら稼働させなければならない。その際、冷却装置の外にある電子機器に制御ワイヤをつなぐ必要があるが、量子プロセッサのすぐ隣でも機能を維持できるコンピューターチップがあれば、外に出す配線を減らすことができる。グーグルは量子チップの制御に使う電子機器をすべて冷却器の外に置いている。同社は10月の発表で、配線は量子コンピューティングの規模拡大における大きな課題だと説明していた。
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