フリーライター 堀香織さん
2015年に難病「多系統萎縮症」と判明した母は、17年秋に東京都青梅市の青梅三慶病院に入院した。19年夏には医師から「11月の誕生日を越せないかもしれない」と言われたが、無事に誕生日を迎え、クリスマスを祝い、年末を迎えた。
実はこの頃、3歳下の弟から悲しい話を聞いていた。彼が見舞った時のことだ。「帰りたい」と言う母に「ごめんね、それはできないんだよ」と答えると、何か声にならない言葉を口にする。一生懸命聞き直したところ、「あんたはカタキ(敵)だ」と言われたらしい。その後もいろいろと話しかけていたら、「うるさいっ!」と遮られたのだという。
「これはお母さんの言葉じゃない、病気が言わせてるんだって思うんだけど、キツかった」
そうして迎えた大みそか。私が校正の仕事を終えて面会に行くと、夕飯の時間だった。クリスマスに針のない注射器で母に赤ワインを飲ませてくれた看護師が食事介助に来ていたのだが、母の様子がなんだかおかしい。「あっかいたい」「あおいと」という言葉がようやく聞き取れる。
その後、母はむっつりと黙り…
からの記事と詳細 ( 心閉ざす母を在宅へ 呑気な娘の思いとは裏腹な母の最後の一呼吸 ... - 朝日新聞デジタル )
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