シリーズ 67年目の水俣病「健康調査の行方⑥」
- 2023年04月27日
「押し込みが足りなかった。忸怩たる思いだ」。法律の策定に関わった元国会議員は振り返ります。当時、国とやりとりする中で感じていたのは、調査に消極的な姿勢でした。
(熊本放送局記者 西村雄介 ディレクター 吉田渉)
被害の全貌解明に向けた法律を
「最初から被害の全貌を調べる気持ちがなくて、おざなり的な形を持っていたのかなと。その辺のところが我々も十分に見抜けなかった」
不知火海沿岸の住民たちの水銀による被害の実態の調査を約束した水俣病被害者特別措置法。
その策定に関わった元参議院議員で、弁護士の松野信夫さんは、成立してから13年以上がたった今も、その調査が実施されないことに悔しさをにじませました。
松野さんが水俣病と関わり始めたのは、水俣市などの住民が原因企業、チッソに損害賠償請求を求めた「水俣病第2次訴訟」が提訴された1971年でした。
水俣病の症状を訴える人たちの自宅をたずね、感覚障害はもちろん、からすまがりや耳鳴りと、不知火海沿岸の住民が高頻度に訴える症状で不眠などの日常生活に困る声を聞いてきました。
「これだけの大きな被害を出していて被害の全貌がまだよく分かっていない。世界的に公害として認められている水俣病が、被害の全貌もその国がよくわからないのは情けない話だと思います。
被害の全貌を明らかにし、それがちゃんと救済に向けられていく。そういう法案にしたいと。水俣病については、一生懸命、もう弁護士になってからずっと取り組んできたことでしたので、なんとか患者さんの期待に応えられるようなものにしたいという思いがありました」
補償に関する懸念
2023年3月末の時点で、行政から水俣病の患者として認定されているのは、熊本県、鹿児島県で2284人。平成7年と21年の政治解決での救済対象者は5万人近くにのぼります。
一方、患者の認定申請をしている人は1400人あまり。裁判で被害を訴えている人も1600人に上ります。今も症状に気づけなかったり、差別を恐れたりして手を挙げられない潜在的な被害者がまだ多くいると考えられています。
こうした実態がある一方、調査に踏み切らない国について、議員だった当時、消極的な姿勢を感じていたという松野さん。
そこには、被害が明らかになると生じる補償という問題が絡んでいたといいます。
「国は調査研究と被害者の救済補償を、できるだけ切り離したいと。純粋に調査研究、それが被害者の発掘だとか、あるいはその補償問題につながるというのをできるだけ断ち切りたい。避けたいというのがひしひしと感じていたところで。我々が要求する調査研究は一応形の上はまあそれは飲みましょうと、受け入れましょうというふうになったけど、それが補償とつながるのを極度に嫌がっていました」
多くの被害を認めれば、補償額が膨らみます。
税金が使われるとなれば、線引きを設けることに繋がりかねない調査に、行政は及び腰となる、という指摘です。
「揺らぐ行政の根幹」
最後に、調査を求めてきた松野信夫さんに対して、環境省の官僚たちがよく口にしていたフレーズがあるといいます。それは「行政の根幹に関わる」という言葉でした。
「水俣病には公害健康被害補償法という法律があって、この法律に基づいて申請して、認定されれば一定の補償金を払われる。棄却されれば、水俣病ではない。そういう人は、政治解決などで一定の補償をしてきた。これまで棄却した人たちがたくさんいて、亡くなられた方もいる。
そうすると、調査の結果、棄却したことが間違いだった、あるいはそういう疑いが出てきたとなると見直しをしなくちゃいけない。それをとにかく避けたい。これまでやってきた水俣病の処分は正しいと。これをひっくり返すことが出てきたら、もうまさに行政の根幹がひっくり返っちゃうという事です」
司法と政治が打開の道、一方で
実際に国はどのような考えを持っているのか。
複数の環境省OBに取材をしたところ、行政が大きく方針を変えるというのも難しい、そうしたなかでの打開の道は、司法の判断、そして、政治のリーダーシップしかないという考えも聞かれました。
一方、挙げられたのは、そもそも科学的に水俣病の被害を捉えることが難しいという意見でした。
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