「仕事と子育てを一生懸命がんばった人」を襲う“絶望的な後悔”とは?
42歳でパーキンソン病に侵された精神科医のエッセイが、韓国で売れに売れている。『もし私が人生をやり直せたら』という本だ。「自分をもっと褒めてあげようと思った」「人生に疲れ、温かいアドバイスが欲しいときに読みたい」「限られた時間を、もっと大切にしたい」と共感・絶賛の声が相次ぎ、35万部以上売れているという。
そんなベストセラーエッセイの邦訳が、ついに刊行される。男女問わず、多くの人から共感・絶賛を集める本書の内容とは、いったいどのようなものなのか? 本書の日本語版から抜粋する形で、「人生の限りある時間」の過ごし方について書かれた項目を紹介していく。
「仕事と子育てを一生懸命がんばった人」を襲う“絶望的な後悔”とは?
先日、ある人に尋ねられました。
パーキンソン病のために手放さざるを得なくなった夢に未練はないのかと。「もう30年も医師生活を送ってきたので十分です」と答えると、その人が問い返しました。
「では、後悔はないのですか?」
振り返ってみて、後悔がないなんてことはありえません。しかし、生きていく上で心配が大して役に立たないように、後悔もまた役には立たないものです。
それでも、1つだけ私が後悔していることがあるとすれば、人生をあまりにも「宿題をこなすように送ってきたこと」 です。
私が最も後悔していること
医師として、母親として、妻として、嫁として、娘として生きながら、いつも義務と責任を負い、どうにかしてすべての役割を完璧にこなそうと苦労してきました。私がいなければ回らないという思い込みの中で、必死に前だけを見て走ってきたのです。そのせいで、本来享受すべき人生の楽しみがあることにも気づかずにいました。子育ての喜びも、患者を診る時のやりがいも、まともに満喫することのないまま生きてきたのです。
もし、あの時、人生を楽しもうという気持ちが少しでもあったなら、時間をやりくりし、できることとできないことを仕分け、家族の手を借りることもできたかもしれない。
帰宅するなり夕食の支度に取りかかるのではなく、まずは子どもと目を合わせて抱っこしてあげることだってできたでしょう。通勤途中に空を見上げ、ゆとりを持って患者たちを迎え入れることだってできたはず。だけど、私にはそのどれもができなかったのです。
後悔していることはまだあります。
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