大仁田厚の2001年から6年間に及んだ参院議員時代。1年生議員として永田町を駆け回っている一部始終を見ていたのが、藤丸敏衆院議員(64)だった。
当時、大仁田が「政治の師」として仰いだ自民党宏池会の元会長・古賀誠元衆院議員の秘書を務めていた藤丸氏は「大仁田さんは古賀先生の前では常に直立不動。(ジャイアント)馬場さんと(弟子として)やってきたからか、礼節がしっかりしていて、かわいがられていたね」と振り返る。
当選後、文教科学委員会に所属し、「いじめ問題」をテーマに汗を流していた姿も見守っていた。
「一生懸命、いじめの現場を回ってやっていたのを俺は知っています。大仁田さんは正義感が強いでしょ。そこは議員としての大きな資質だったと思う。古賀先生が一番評価していたのも彼の正義感だった」―。
藤丸氏自身が教員養成系の東京学芸大出身。秘書になる前は高校の非常勤講師も務めていただけに古賀誠事務所で一緒になると、大仁田と教育現場、特にいじめ問題について話し合うこともあったという。
大仁田が感じていたプロレス出身者への偏見と1年生議員ゆえのジレンマについては「本人はそう言った部分を感じていたかも知れないけど、馳(浩)さんは県知事にまでなってるからね。そんなこと言ったら、国会議員には本当にいろいろな人がいますから」と正直に吐露した。
「臆することはなかったのに…。大仁田さんは当時、(社会人入学した)明大に通っていたと思うけど、学歴と知恵は違いますから。大仁田さんには生きる知恵と正義感がある。筋を通して礼節を重んじるところとか、人間関係を大事にするところとか、魅力があったんだから」―。
そう評価するだけに07年7月、参院選直前の唐突な議員辞職には驚いたと言う。
「俺は『なんで辞めるんだよ』って言ったもん」と藤丸氏。
「大仁田さんは多分、それまでドロドロした世界の経験がなかったんだと思う。そこが嫌になったんじゃないかな」と推測すると、大仁田が辞職の理由としてあげた「このままでは腐ってしまう」という言葉について、「それは本音だと思う」とポツリ。
「政治の世界がドロドロしているのは本当のことだから。大仁田さんは、そういうところが我慢できなかったんだと思う」と、真剣な表情で続けた。
そんな政界で艱難辛苦(かんなんしんく)。古賀氏の後を受け継いだ福岡7区で4回連続当選を果たしてきた自身の経験を踏まえ、「もう少し我慢してやっていたら、大仁田さんは偉くなったと思う。その点で惜しいなあと思う」と、つぶやいた。
思わず漏らした言葉の理由はずばり、全国の小・中・高校での認知件数68万1948件と右肩上がりで増え続けている「いじめ問題」の悪化だ。
6年間で終わった参院議員生活の中、いじめ対策をライフワークと定め、福岡県始めいじめ自殺のあった現場をこまめに回っていた大仁田は辞職から17年経った今でも、いじめ自殺の実際のケースについて事情を聞くなど、独自の活動を続けている。
「ただ、ただ、ショックを受けました。事件が起こった後も、いじめがあったことを認めなかったり、遺族の知る権利が踏みにじられたり、いまだにハッキリしない」―。
そう、声を荒らげた大仁田は21年に北海道・旭川市で起こった女子中学生いじめ凍死事件後、自身が代表を務めるFMWEを率いて、旭川市で2年連続「なくそうイジメ!FMWE電流爆破プロレスin旭川」と名付けた興行を開催。いじめ防止の啓蒙活動を地道に続けている。
そこには全日本プロレスの新弟子時代、ジャイアント馬場さんの付き人というだけで「無理偏にげんこつ」の世界から来た大相撲出身者たちから理不尽にいじめられた自身の経験も横たわっている。
今でも「いじめ問題」で大仁田と連携を続ける藤丸氏は、その思いの深さを知り尽くした上で、こう言う。
「ぶっちゃけて言うと、今の国会にはいじめ問題にずっと携わっている人がいないんです。誰がこの問題を一生懸命やっているんだろうって。ずっと、この問題を抑えていこうという人がいない。いじめの件数ははっきりと増えている。全然、進展してないし、(学校側の)隠す体質も変わっていない今、そういう議員が絶対必要だし、俺は大仁田さんが適任だと思う」―。
さらに「大仁田さんと同期(当選)の人たちが今、重鎮になっているから、そういう人脈も使える。厳罰化したことで飲酒運転の検挙件数が激減したように、いじめ問題も人をいじめたら自分が損をするって教える形で世の中を動かさないといけない。議員だった時、それに懸命に取り組んでいた大仁田さんは適任者だと、俺は思う」と期待も寄せた。
自身は金融と農業という専門分野を持ち、新NISA(少額投資非課税制度)導入の立役者とも言われる実力派議員は7度の引退、復帰を繰り返し、「ウソつき」とも言われることがある「邪道」について「それはウソつきなんじゃないの?」と、ずばり言った上で「でも、宮﨑(駿)監督もそうだけど、本人はこれで無理、一旦やめようと思うけど、また血が騒いだんじゃないかな」と笑い飛ばした。
そう、大仁田の体に流れているのは、生まれついてのプロレスラーとしての血液。その熱き脈動は、多忙を極める議員生活時代も決して動きを止めることはなかった。(取材・構成 中村 健吾)
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「スポーツ報知」では、今年4月にデビュー50周年を迎える「邪道」大仁田厚のこれまでのプロレスラー人生を追いかけていきます。66歳となった今も「涙のカリスマ」として熱狂的な支持を集める一方、7度の引退、復帰を繰り返し、時には「ウソつき」とも呼ばれる男の真実はどこにあるのか。今、本人の証言とともに「大仁田厚」というパンドラの箱を開けていきます。
※「シン・大仁田厚」連載は毎週金、土、日曜午前6時配信です。
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