大相撲の過去の記憶に残る出来事、勝負を各場所ごとに振り返る「伝説の8番」の春場所編がスタート。第1回は1975年、初代・貴ノ花の初優勝。スポーツ報知の記事とともにたどります。
貴ノ花は72年9月場所後、大関に昇進したものの、その後優勝争いに絡めず、2ケタに勝利が届かないことも多く“クンロク(9勝6敗)大関”と呼ばれていた。その一方で、貴ノ花と同時に大関に上がった輪島は、横綱への階段を駆け昇っていた。ただ、貴ノ花の人気はすさまじく、対戦相手が嫌がるほどだった。
この場所、貴ノ花は初日に小結・麒麟児、2日目に東前頭2枚目・増位山、3日目は西同3枚目・北瀬海をそれぞれ下し、快調に3連勝。会心のスタートにも「まあ、毎日、一生懸命にとるだけです」と支度部屋では口数は少なかった。輪島は3連敗。4日目から休場。役力士でただ一人全勝だった貴ノ花も、4日目に西前頭2枚目・荒瀬の外掛けに屈し、初黒星となった。
それでも、その後は安定した相撲で3連勝した7日目、前日まで全勝だった大峩に土がつき、横綱・北の湖、東前頭筆頭・三重ノ海とともに4人が1敗に並んだ。スポーツ報知は兄で師匠の二子山親方から貴ノ花へのエールを掲載。「なかなかやるじゃないか。土俵下の審判席で見ていても覇気が伝わってくる」、「今場所はまるで別人みたいに映るんだ。2人の子供(勝、光司)の親になり、責任を感じたのだろう」と手応えを感じたコメントが並んだ。
8日目に東前頭4枚目・大受、9日目には同5枚目・高見山、10日目は関脇・黒姫山を撃破し、9勝1敗。三重ノ海を破った北の湖が1敗を守り、大峩が敗れたため、V争いは北の湖とのマッチレースに持ち込まれた。11日目に東前頭7枚目・豊山に上手投げで勝ち、12日目は三重ノ海戦は1分を超す相撲となったが、もろ差しになった貴ノ花が終始攻勢。土俵際、三重ノ海の右突き落としに、体を預けるように寄り切った。初の賜杯に高まる期待。「一生懸命やって、何とかなるでしょう」すがすがしい表情で答えた貴ノ花。スポーツ報知は3月21日付1面で「貴花 賜杯リズムだ」と報じた。(久浦 真一)=つづく=
◆貴ノ花 利彰(たかのはな・としあき)本名・花田満。1950年2月19日、北海道・室蘭市出身。65年5月場所、初土俵。68年11月場所、新入幕。72年9月場所後、大関昇進。81年1月場所で引退。優勝2回。殊勲賞3回、敢闘賞2回、技能賞4回。通算成績は726勝490敗58休。05年5月30日、死去。享年55。現役時代は183センチ、114キロ。
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