歴史ある北アルプスの山小屋を受け継いで登山者を迎える人がいる。近年新主人となった人たちに、山小屋への思いやこれからの展望について聞いた。
アルパインクライマーから山小屋支配人へ、70歳からの新たな挑戦——。唐松岳頂上山荘 瀧根正幹さん
唐松岳頂上山荘
唐松(からまつ)岳山頂直下、後立山連峰の縦走路と欅平に至る黒部川ルートの十字路に立つ。ゴンドラ、リフトを乗り継いで、標高1830mから歩き出す八方尾根は北アルプスの入門コースとしても人気が高い。「なにかに一生懸命取り組む自分を取り戻したい」
名古屋市内での郵便局勤務を54歳で辞め、出身地の岐阜県高山市で山岳ガイドとして活動してきた瀧根正幹(たきねまさみき)さん。名古屋の社会人山岳会でアルパインクライミングに傾倒、46歳の時にK2(8611m)西稜から西壁(初登)、49歳でアンナプルナ(8091m)、50歳でチョ・オユー(8201m)登頂はじめ、ヒマラヤ8000m峰にも挑んできた。
2022年2月、70歳のとき、オーナーから支配人にと話があった当初は、断るつもりだったという瀧根さん。山小屋の運営というと電気設備の保守管理から水の確保まですべてを担わなければいけないのに、その経験も技術もなく、自分には務まらないと思ったからだ。そのころ瀧根さんは、北アルプス・穂高岳や剱岳のバリエーションルートをガイドとして登りながら、北アルプス・明神岳の南壁に、新しい冬季の登攀ルートを拓こうとしていた。
「オーナーに、瀧根さんができないことは、できるスタッフを雇えばいいと言われて、なるほどそうなのかと。その頃、明神岳の登攀予定が近づくにつれ、やめる理由を自分で探したり、弱気になったりする自分がいたんです。70歳を迎えて、何かに一生懸命取り組む自分を取り戻したいと思っていたこともあって、挑戦をしてみようと」
そう決めた2カ月後には山荘に上がり、まず登山者のために「寝ること」「食べること」を充実させようと個室にしかなかった毛布を相部屋にも導入するなどした。水の確保のため、山荘から400mほど下がった谷筋からポンプでくみ上げるための作業、苦手意識のあった機械設備の管理には苦労したが、スタッフにも恵まれてはじめての夏山シーズンを無事に終えた。
「自分に足りないところは教えてもらいながら、ステップアップしていきたい」と瀧根さんは語る。
自分の経験を伝えることで安全登山の一助に
2022年夏山シーズンには、地元白馬村の中学校1年生を山荘に迎えた。山荘での夜、自身のこれまでの海外登山での写真をまとめたスライド上映会を行った。
「私はこれまで失敗もたくさんしました。失敗をいくらしてもいいから、好きなことに夢中になってみようよ。もちろん山じゃなくてもいい。失敗を乗り越えた先にこんな風景が見られるよ、ということを伝えたくて」
5人いる孫のひとりも、同じ世代の14歳。真剣に耳を傾ける子どもたちの姿に、山小屋支配人として、自分ができることへの意味や今後への意欲も確かめることができた。
長く日本山岳協会(現日本山岳・スポーツクライミング協会)の専門委員(指導部)などを務めてきた瀧根さんは、自分の経験を生かして取り組んでいきたいことがある。
「登山は危険と隣り合わせ。初心者が多い山でもあるので、次の登山へステップアップする機会を提供できたらと、山荘で安全登山のためのスライド上映会を昨シーズンは数回行ないました。今後もっと内容をブラッシュアップし、登山の本質を少しでも伝えていけたらと思います」
アルパインクライマーとして、自分の登山の原点である剱岳を、朝な夕なに山荘から眺めるたび、幸せを感じるという瀧根さん。登山者の疲労が少しでもとれるように。明日も安全に歩けるように。天気がいい日の布団干しは、そのための大切な仕事。70歳から踏み出した新たな世界への挑戦は、始まったばかりだ。
『山と溪谷 2023年8月号』
山と共に生き、その自然と登山者を長年見つめてきた山小屋。なかでも、険しく、厳しい自然環境にある北アルプスの山小屋には、それぞれに個性あり、歴史あり。人・道・自然というテーマに分けて、山小屋物語を紹介します。
特集 | 北アルプス山小屋物語 別冊付録「日本アルプス山小屋名鑑2023」 |
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発売 | 2023年7月 |
発行 | 山と溪谷社 |
価格 | 1,320円(税込) |
*この記事は『山と溪谷』8月号特集「北アルプス山小屋物語」収録のコラム「山小屋を継ぐ人」の拡大版です。
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