愛媛県でただ1つの少年院、「松山学園」。
今年度で閉鎖することが決まっていて、70年の歴史に幕を閉じます。そうした中、最後まで収容されている少年たちの更生を支えようと、協力を続けている人たちがいます。
「2度と犯罪に手を染めないでほしい」。
心からそう願う人たちのメッセージに耳を傾けました。
(NHK松山放送局 後藤駿介)
閉鎖が相次ぐ少年院
少年院の閉鎖が全国で相次いでいます。法務省によると、2018年度には全国で51か所ありましたが、この5年間で7か所減りました。背景には少年犯罪の減少などがあるとみられています。犯罪白書によると、刑法犯の疑いで警察に検挙された少年少女は、20年前の2003年におよそ16万6000人。その後減り続け、おととしはおよそ8分の1の2万399人でした。
愛媛唯一の少年院も閉鎖へ
松山市の少年院「松山学園」も、収容者の減少や施設の老朽化のため、今年度で閉鎖されます。閉鎖が決まった少年院でどのような矯正教育が行われているのか?今回、特別な許可を得て取材をすることにしました。
取材を始めて驚いたことがあります。それは収容されている少年の人数です。私が取材したことし2月は2人。少年犯罪が多かった平成11年には66人いたということで、状況は一変しています。
最後まで少年たちを支える
松山学園には、最後まで少年たちの更生を支えようと、協力を続けている人たちがいます。その1人、松山市に住む西川和子さんです。およそ10年前から講話を続けている西川さん。ある事件で長男の命を奪われ、被害者の立場から少年たちに語りかけています。
「事件のあと、ずっと長い間、悲しみや不安、恐怖を抱えながら、地の底ばかり歩いてきたような気がしています。こんな思いを誰も味わわないで済むような、安全で安心して暮らせる社会を願っています」
西川さんの長男の和幸さんは、2001年、4人から暴行を受けて殺害され、県内の山中に埋められました。当時の年齢は24歳。母の日には必ずカーネーションをプレゼントして、幼い妹の面倒をよく見る優しい青年でした。
事件の発覚まで、息子が殺害されたことなど知るよしもない西川さん。およそ3年間、帰りを待ち続けました。しかし、2004年12月1日、いつもどおり仕事に出ていた西川さんのもとに警察から連絡が入ります。「息子さんが遺体で発見されました」。病院に駆けつけて遺体と対面した西川さんは、頭が真っ白になり、身動きもできなかったといいます。その日は和幸さんの誕生日でした。
「誕生日には必ず好きだったたこ焼きとショートケーキのイチゴののったものを供えます。でも、和幸に会えるのは、夢の中だけになってしまいました。あの子は結婚することもできなかったし、家庭も持てなかった。私も、孫を見ることをとても楽しみにしていましたが、それも果たせず、つらい気持ちを抱え続けています」
少年たちに伝えたい思い
同じ思いをする人を出したくない。西川さんは、松山学園で話をするとき、必ず横に和幸さんの顔写真を貼った等身大のパネルを置きます。そして、奪われた命の重さを伝えます。
「いまでも『お母さん、ただいま』と帰ってきそうな気がして。息子に会いたくなったときは仏壇の前で、『和くん』と語りかけます。いまではこれが息子との会話なんです。会いたくても会えない。話したくても話ができない。むごいことですよね」
最後に西川さんは、少年たちに、2度と犯罪に手を染めないでほしいと、思いを込めて訴えました。
「犯した罪は絶対に消えることはありませんが、これから社会に出てどのように生きて、どう罪を償っていくかが大きな課題だと思います。ここが最後。少年院を出たときに、まず何をするかということを考えて行動してほしいと思います」
少年たちは何を感じたのか
西川さんの話を、ずっと涙を流しながら聞いている少年がいました。この少年は西川さんのメッセージをどのように受け止めたのだろう?特別な許可を得て、少年が書いた感想文を見せてもらうことができました。
「話を聴いていて被害者という立場に実際になってみないと分からない苦しさや辛さ、そして心情などがすごく伝わってきました。僕が感じたものより、はるかに大きく、重く、深い傷なのだというふうに思うと、とても胸が痛くなりました。自分がこれからの生活を正し、更生する、謝罪の気持ちを姿で示す。賠償など、償いをするということが、これほどまで大きいことなのだと深く感じました」
少年たちを支える元収容者
別の立場から少年たちを支えている人もいます。かつて松山学園に収容されたことのある男性です。
「私も当時は誘惑に負けちゃって、いろいろな悪い人とつるんで遊んで、悪さをしました。その後、今のこのままの自分じゃだめなんだっていう思いが芽生えてから、こつこつと、悩みながら生活を送ってきました。地元の先輩ぐらいの勢いで、いろいろなことを質問してくれたらうれしいです」
男性はおよそ20年前、暴走行為をする中で逮捕され、18歳で松山学園に収容されました。松山学園を出たあとは、さまざまな職業を経験して努力を続け、いまでは建設会社を経営しています。更生には一体何が必要なのか、実体験を伝えています。
「何か更生の目標を見つけること、何か大事なものを見つけることが重要だと思います。 仕事っていうのは、若い自分が大人に認められる唯一のものだったので、一生懸命取り組みました。仕事でも趣味でも、更生するための目的やきっかけを自分で作らないといけないと思います」
過去の自分を包み隠さず、本音で語りかける男性。すると、少年たちも、本音の質問をぶつけてきました。「再犯の誘惑にどうすれば打ち勝てますか?」
「夢だったり、目標だったり、仕事だったり、結婚すれば家庭もできますよね。そういうことに対して一生懸命やっていれば、絶対周りで支えてくれる人が出てくる。そうなったら再犯する前に、この人たちを大事にしようっていう思いの方が強くなって、犯罪をしようっていう考えには至らないんじゃないかな」
最後に男性は、松山学園で過ごすこの時間を大切にしてほしいと呼びかけました。
「少年院は思いどおりにいかないことのほうが多いと思います。社会も同じようなものです。そういう意味で、少年院は社会を再現した場所と思ってほしい。でも、思いどおりにならないからこそ、ふとしたときに、周りの人だったりとか、家族とかに対して感謝ができるのではないでしょうか」
講話のあと、男性は当時お世話になった教官のもとを訪れました。そこでかけられたのは、思わぬ感謝のことばでした。
「実際に自分が経験したこと、苦労してきたことを言っていただけて、われわれ教官が話すよりも心に突き刺さったなと思います。本音でいろいろ話していただけることが本当にありがたいですし、彼らの心に残っていると思います」
「こうして少年院を出たあと立ち直り、昔の自分と同じような境遇の少年たちのためにご尽力していただけているのは非常にうれしいです。これからも彼らの成功のモデルとして頑張ってほしいです」
教官たちのことばを涙ながらに聞いていた男性。これからも、少年たちの更生を支えたいという気持ちを強くしました。
「自分もつらいときもあったり、もがいていた時期もありましたので、こうやって、実際に指導していただいた方から、感謝の気持ちを述べていただけてとてもありがたく思います。今の自分があるのは10代のころ、ここで半年間生活して、経験を得たおかげだと思っていますし、自分に協力できる機会があればこれからもぜひ協力させていただきたいです」
取材を終えて
今回、松山学園の取材を通して、講話を続ける2人がそれぞれの立場で、とても強い思いを持って、収容されている少年たちに更生の重要性を訴えている姿が印象的でした。また、講話を聞いている少年たちも、その思いを受け取り、真剣に聞いていて、こうした支援者の存在が果たす役割は大きいと感じました。全国に目を向けると、少年犯罪の数は減っている一方、いまだに少年が重大事件を起こしてしまうケースはたびたび起こっています。松山学園は今年度で閉鎖されますが、こうした支援者たちを引き継いでいくことは、とても重要だと思います。
からの記事と詳細 ( 閉鎖する少年院 支え続ける人たち - nhk.or.jp )
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