鎌倉殿の時代(9)武士と土地
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(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
◉鎌倉殿の時代(7)義経と弓(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69019)
土地は彼らの生計を支える収入源
今回は、地方の武士たちと土地の関係について、見てゆきましょう。 『鎌倉殿の13人』を見ていると、武士たちは土地に強いこだわりをもっているようです。頼朝につけば土地を認めてもらえるのか、敵に勝てば奪った土地をもらえるのか・・・といった具合です。
本当は、「土地」というより「所領」「知行」といった方が正確ですし、当時の用語に即するなら「領掌」「領知」というべきでしょうが、それでは専門家にしかわからないので、ドラマのセリフ上では「土地」といっています。
ではなぜ、武士たちが土地にこだわるのかというと、土地は彼らの生計を支える収入源だからです。といっても、武士たちが自分で田畑を耕しているわけではありません。家庭菜園くらいは作っているかもしれませんが、田畑を耕して土地から収穫を上げるのは、あくまで農民です。
当時の社会制度では、「土地を耕作する = 納税の義務を負う」だからです。
年貢を納める義務、といった方がイメージしやすいかもしれません。本当は当時の税制はとても複雑なので、年貢というのは正確ではありませんが、まあ、税制が複雑で専門家以外にわかりにくいのは、どの時代でも(現在でも)同じです。
一方、武士たちは、現地で農民から年貢(税)を取り立てるのが仕事です。取り立て人のポストは、その土地が貴族や寺社の荘園になっていれば、荘官や荘司。国司の管轄する公領であれば、郡司(ぐんじ)・郷司(ごうじ)などと呼ばれます。
この、土地から年貢(税)を取り立てる権利が、「知行」「領掌」「領知」なのです。そして、取り立てた年貢(税)から、自分の取り分を中抜きして、荘園の名義人である貴族や寺社、国司に上納します。つまり、取り立てと中抜きはセットなのです。
ちなみに、家庭菜園で採れた野菜に税金がかからないように、当時も屋敷の敷地内にある田畑は非課税でした。そこで武士たちは、屋敷地を広くとって田畑の一部を非課税地として囲い込み、収益源にあてました。こうした屋敷地扱いの田畑も自分では耕作せず、周辺の農民に耕作させます。
だから、武力を蓄える必要があるのです。農民たちから年貢(税)を取り立て、農民たちをどやしつけていうことをきかせるためには、農民たちから怖れられる存在でなければなりません。他の同業者から利権を侵害されないためにも、武力は必要でした。
つまり、武士たちにとって、土地は収入源。他人に土地を奪われることは、収入源を失うことを意味します。しかも、他人に土地を奪われる=自分の所領を守れない=弱いヤツだ、ということになります。これでは、武士としての存在価値がありません。
こんな、土地に根を張った生き様の中から、「一所懸命」という言葉が生まれました。「一所懸命」とは、一つの所領(土地)を命がけで守るという意味。これが転じて、「一生懸命」という言葉になったのです。
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