親から相続するものは財産だけではない。作家の五木寛之氏は「こころの相続を忘れてはいけない。サンマの食べ方、おふくろの味、災害の記憶など、形のないものも後世に残すべき大切なものだ」という――。 【この記事の画像を見る】 ※本稿は、五木寛之『こころの相続』(SB新書)の一部を再編集したものです。 ■「親の背中を見て育つ」目に見えない相続のかたち 旅行先などで、同行した人の歯の磨き方や顔の洗い方など、習慣的にやっていることが、まったくちがっていて、びっくりすることがあります。 たとえば、朝起きたらすぐに歯を磨く人がいます。睡眠中にたまったプラークをとらずに食事などできない、というのです。その一方で、歯磨きは、食べかすをとるためにやるのだから食後に磨く、という人もいます。あれこれと理由をつけるのは、「後出しじゃんけん」のようなものです。習慣になっているのは、おそらく、親の背中を見て育っているからでしょう。 日常的な些細なことではなくても、「親の背中を見て育つ」と言われるように、親が一生懸命にやっている、その背中を見て、その一生懸命さを相続することは多々あるのではないか。 たとえば、ご飯を食べるときに、ご飯は左側、汁物は右側におき、必ずお腕を一口飲んでから、ご飯に箸をつけるという若いテレビ・ディレクターがいました。家族はみなそうやっていたから、それ以外の食べ方は考えられないという。これは、たしかに作法にかなっていることです。彼は、きちんとしたしつけを受けて大人になったのでしょう。
■サンマの食べ方、おふくろの味も立派な相続 また、料亭に行ったとき、靴をぬぐのに時間のかかる人がいました。私などは、足をもぞもぞとさせて無造作にぬいでしまうのですが、彼はちがう。「父親にうるさく言われたので」と言いつつ、靴ひもをきちんとほどいて、ぬぐのです。 履くときも同様で、私は、靴べらを使ってむりやり押し込むのですが、彼は、ひもをキュッキュッと締めて結んでいます。スリップオンの靴でないかぎり、これは当たり前のことのようでした。 秋刀魚の食べ方を、教科書で学ぶというわけにはいきません。図解で示されても、ディテールはわかりませんから、やはり、親の食べ方から学ぶしかなさそうです。 とはいえ、綺麗な食べ方を相続していればいいのですが、そうもいかないところが難しい。出された料理に片端からドバドバ醤油をかけてしまう人がいます。これは料理人が顔をしかめることなのですが、おそらく、親が同じことをしていたのを見て育ったのでしょう。 そういう意味で、おふくろの味も、最近はパン食が多くなって、相続が難しくなっています。居酒屋でおふくろの味がもてはやされるのは、「こころの相続」が次第に失われてきたからかもしれません。 朝、とんとんと野菜を刻む音がして味噌汁の香りがただよう。私も、そんな体験を相続できなかったことを残念に思うこともしばしばです。 ■福岡人の父母から受け継いだ九州弁 私の喋り方は、形のうえでは共通語ですが、アクセントやイントネーションはまったくの九州弁です。正確にいうと、福岡の筑後弁で、柿と牡蠣の区別がつきません。 橋も箸も一緒になってしまいます。若いころには、青森県出身の寺山修司さんと、栃木県出身の立松和平さんを合わせて「三バカ方言作家」などと、からかわれたものでした。 この喋り方は、まぎれもなく私が父母から受け継いだものです。両親ともに福岡人ですから、家庭内の会話は、100パーセント九州弁でした。この年になってもまだ、両親から相続した喋り方が消えていません。 食べ物に関する嗜好も、味つけの好みも九州由来で、両親からの相続です。私の家では正月の雑煮に入れる餅は、丸い餅でした。餅とはすべて円いものだ、と思い込んでいました。東京へ来てから四角い餅の存在を知ったのです。
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August 13, 2020 at 09:16AM
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