Pages

Sunday, March 22, 2020

一生懸命走ってつなぐ 2度目の聖火ランナー三遊亭小遊三さん―東京五輪と私 - 時事通信ニュース

2020年03月23日08時09分

インタビューに答える落語家の三遊亭小遊三さん=2月20日、東京都新宿区

インタビューに答える落語家の三遊亭小遊三さん=2月20日、東京都新宿区

 出身地、山梨県の東京五輪聖火ランナーに選ばれた落語家の三遊亭小遊三さん(73)。高校生だった前回東京五輪でも地元で聖火ランナーを務め、「落語家というより『聖火リレーの小遊三』ですよ」と笑う。当時のエピソードや五輪への思いを語ってもらった。
◇世界最高の競技を応援
 聖火リレーというと五輪の象徴ですから。それをみんなでつないで、最後、新国立競技場の聖火台に火を付ける。真剣にやらないといけないです。
 前回、僕は高3の卓球部キャプテンで、「お前が走れ」って学校の命令でしたからね。面倒くさいなという気持ちでした。当日は中継地点で待っている時、雨が降ってきたんでね。「聖火消えないのかな」と言ったら、「変なこと言うな」と怒られた。平日で兄も姉も勤めていたし、家族は応援に来ませんでした。
 今みたいにイベント的なお祭り騒ぎではなかったですね。世界最高の競技をみんなで応援する感じ。聖火ランナーは招待されて、国立競技場で競技を見学させてもらったんだけど、その時もあまりお客さんは入っていなかったですしね。
◇卓球と聖火に感謝

前回1964年の東京五輪の聖火ランナーとして山梨県大月市内を走る三遊亭小遊三さん(手前)(三遊亭小遊三さん提供)

前回1964年の東京五輪の聖火ランナーとして山梨県大月市内を走る三遊亭小遊三さん(手前)(三遊亭小遊三さん提供)

 でも、僕が実際に走った時は道の両側に人がだーっといて「頑張れー」とか言われて。「俺主役だな、気持ちいいな」という感じでした。
 その時の写真が新聞に載った。「写ってるの僕なんですけど」と新聞社に電話したら写真を送ってくれました。新聞は今でも持っています。うれしかったし、生活に活力を与えてくれた。五輪が来るたび取材にも来てくれる。私の人生に大変な役割を果たしてくれているんです。
 卓球を始めたのは小学5年くらい。中学、高校、大学と続けた。こういうチャンスに巡り会えたのも卓球のおかげです。招待され、卓球が正式種目になったソウル五輪(1988年)からバルセロナ、アトランタと応援に行きました。林家こん平師匠と世界ベテラン卓球選手権にも出場した。
 卓球代表の平野美宇ちゃんは山梨出身で、小さい頃に対戦もした。東京五輪では日本に絶対メダルを取ってもらいたい。
 2度目の聖火ランナーに選んでもらって大感謝です。真面目に一生懸命やりますよ。
 ◇三遊亭小遊三さんの略歴
 三遊亭 小遊三(さんゆうてい・こゆうざ)明治大在学中の68年に三遊亭遊三に入門。73年、小遊三に改名し二ツ目。83年真打ち。軽妙なアレンジを加えた古典落語を得意とする。同年から演芸番組「笑点」の大喜利メンバーを務め、駄じゃれや下ネタ、林家たい平さんとの地元ネタバトルなどで人気を博している。落語芸術協会副会長を経て現在参事。73歳。山梨県大月市出身。

Let's block ads! (Why?)



"一生懸命" - Google ニュース
March 23, 2020 at 06:29AM
https://ift.tt/2J9Zs7P

一生懸命走ってつなぐ 2度目の聖火ランナー三遊亭小遊三さん―東京五輪と私 - 時事通信ニュース
"一生懸命" - Google ニュース
https://ift.tt/2R8g30q
Shoes Man Tutorial
Pos News Update
Meme Update
Korean Entertainment News
Japan News Update

No comments:

Post a Comment