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Saturday, January 25, 2020

【あの日の五輪】「今できることを一生懸命」内村航平にエール…1972年の加藤沢男(下)(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

 76年モントリオール大会で個人総合V3を目指した加藤が在籍していた東京教育大が73年10月、筑波大へ新設移転された。拠点が変わったことで練習環境も激変した。「体育館には道具が何もなかった。当時、私は技官で『本当に先生になれるのだろうか』という不安定な立場でもあった。周りからは『いつまで(体操を)やってんだ』という声も聞こえてきて、練習に身が入らなかった」

 そういう状況でも、モントリオール大会の半年前からは練習に力を入れ始めた。「まだ3連覇は誰もいないということから、欲に駆られたんですよ。ただ、半年で勝てるわけがないんです」。自らの経験から「試合で力が目いっぱい出るのはまぐれ。100%出ることはない。だから、練習しかないんです。練習で失敗して、その課題を潰していくしかない」と力説した。

 2度目の東京五輪まで、あと半年に迫った。個人総合で12年ロンドン、16年リオデジャネイロ大会に続く3連覇が懸かる内村航平(31)は昨年、故障が続き世界選手権代表入りを逃した。「僕自身の経験から言うと、24~26歳からが下り坂。いくらメンテナンスをやっても、回復が遅くなってくる。内村君もメンテナンスが大切になってくると思います」と気遣った。代表入りを目指す選手に対しては「今からできることを、一生懸命やってくださいということですね。それしかないです。新しいことを突然やるというのは、絶対できませんから」と続けた。

 昨年12月、茨城・つくば市を走る五輪の聖火ランナーに選ばれた。他にも出身地の新潟県、東京都から声がかかるなど、引っ張りだこだったという。「200メートルも走れますかね」と冗談を言いながら「東京五輪は子供たちに見てもらいたいんです。未来を背負っていくのは、間違いなく子供たちですから」と願いを込めた。(編集委員・久浦 真一)=敬称略、終わり=

 ◆1972年(昭和47年)の世相 2月に連合赤軍によるあさま山荘事件が起き、4月には小説家の川端康成がガス自殺した。6月に佐藤栄作首相が退陣を表明し、7月には第1次田中角栄内閣が発足。10月に巨人が日本シリーズで阪急を4勝1敗で下し、8連覇を果たした。12月にはアポロ17号が打ち上げられアポロ計画が終了。自動車の初心者マークが施行され「ナウい」「お客様は神様です」などの言葉が流行した。

報知新聞社

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